break time
25年間の教員生活を一度退職し、また現場に。教職の大変さと楽しさを綴っています。

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プロフィール

Author:hakko
はっこ、と小さい時に父と姉に呼ばれていた。
多趣味だが、苦手なことも山ほどある。マイブームが周期的に訪れ、去っていく。ビーズアクセサリーは、10年くらいはまったまま。教師は天職と思っていたが、他にも大切なことがあることを知って、転職。食育に燃えていた。昨年度から、少し、子供に関わると、また、現場に戻りたくて、申し出て、やっているところ。



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父への思い

 田舎に帰って両親や姉妹とたくさん話せた。

 私の娘についての報告をしたときに、父が、
「じいちゃんは、おまえ達に結婚のことや仕事のことで心配しないできたけど、おまえが親として心配している気持ちが、かわいそうになあ。そうか。」

「そうだ、私ね、電話で話したけど、採用試験落ちたんだった。ショックだったよ、やっぱり。」

「じいちゃんも、悩んだよ。なんでおまえが落ちるんだ?って。」

「でもね、電話で報告したときにお父さんが、いいや、受けただけでもたいしたもんだよ、じいちゃんの自慢の娘だよ、と言ってくれた事が嬉しかったよ。やっぱり、どうして私が落ちたのかと悩んだけど、3日考えて納得できた。」

と言ったら、横で聞いていた私の2歳年下の妹が

「ああ、納得できたんだ。そう、一度辞めた者なんてやる気がないと思って採らないよ。」

と、あっさり言ってくれた。

「そううだよね、あなた、はっきり言うね。やっぱりそうなんだよね。でも、私は、やる気があったんだけど、落ちたときにショックだったけど、正直言ってホッとしたのよ。合格したら、60歳までは頑張らなくてはいけないからね。」

「お姉ちゃんのそんなところをやっぱり感じ取られたんだよ。」 

 私がワインを持ってきたから一緒に飲もうと言っていたので近くに住んでいる妹がやってきて、両親と4人で飲んだ。お酒の勢いもあるけど、言いたいことを本音で話せる関係は
やっぱり親子だなと思った。

 その後、お茶を飲んでいたら、以前の学校の教務主任から電話があって、4月からきてくれないかと言うことだった。父がそれを聞いて、しばらくしてから、

「hakkoよ、じいちゃん今の話を聞いて思うんだけど、おまえは、向こうで本当に良い先生だったんだなあと思ったよ。この年になっても辞めてもそう言ってくれるんだからなあ。」

と、しみじみと言ってくれた。

 気をよくした私は。この1年間の子どもの様子や、やりがいを感じたことや、成長させたことなどを話した。

 私がもう一年この学校にいるからまたみんなに会えるよと最後の日に話したときに、近くにいた女の子が、はっとして、顔を上げて、手を伸ばして私の手を握った話をしたら、母が涙ぐんで、かわいいねえ、、と言っていた。

 「軽度自閉症の男の子のお母さんが、ずっとこういう子に育てるのが良いのか、あるいは、、、と、子どもをどう理解しようか一生懸命悩んでいる姿は伝わってきたけど、3年になってからけんかもなく落ち着いてきたことをいくら私が話しても、感謝の言葉はなかった。それが、半年に一度の検査に行ってきたときの結果報告の手紙にこんなことを書いてくれていたんだよ。担任の先生の深い理解と、暖かい指導のおかげだと思いますよ。ずいぶん落ち着いて生活できているから、1年に一度の検査でいいと思います、と言ってくれました。先生に感謝いたします、、と。」

 その話をしたら、両親が、涙をぬぐいながら、
「やりがいがあるのお。」
と言ってくれた。

「そお、本当にクラス担任は大変だけど、私も1年間奮闘したけど、1年経ったときに本当にやり終えたと言う満足感だけではなくて、やりがいを感じられたよ。それにね、そんなに大変なクラスだったのに、学力もついたんだよ。平均点が受け持ったときには、55てんくらいだった。市の平均を少し上回るくらいだったんだけど、学力テストでね、34人中31人が65点以上で、平均点が86点だったんだよ。(国語)算数も60点以上が31にん。どうしても勉強しない子がいて、その子どもが40点だったけど、平均点は76点だったよ。よく伸ばしたと思うでしょう。本当に奮闘したんだよ。

 どうしてこんな先生を落としたんだろうと思うけど、面接でそんな事言わないし、言っても意欲は伝わらないだろうけどね。」

 最後は、やっぱり採用試験に落ちた愚痴になったけど、年老いた両親に、教師として頑張っていることを認めてもらえたことだけが励みになると思う。

 田舎で、義理の兄は校長先生だし、従姉妹も校長先生になって2年前に退職している。私が、先生になって途中でやめたからと言って、挫折をしたわけではないことを、両親にだけは知ってもらいたかった。

 30年前に、採用試験を受けたときの面接で、尊敬する人は誰ですかと聞かれたときに、正直に父です、、と即答してしまったことを思い出す。

 あと何年、両親にクラスのかわいい子どもたちの様子を話してあげれるだろうか。

 来年度は、色々な事情で、算数のT.Tと、4年の男の先生のクラスを音楽。女の先生のクラスを図工を教えると言うことになりそう。担任でなければ、2時半からは教材研究がいくらでもできるのだから、なんでも言われた通りにしますからお任せしますと答えた。

 このブログも3年経ったので一度、閉じようと思います。
 まだまだ書き足りない思いはありますが、また別の方法で書き残したいと思います。

 3年間読んで応援してくださった方々、有り難うございました。

テーマ:小学校 - ジャンル:学校・教育


田舎に帰る途中

羽田空港で朝食を食べてウロウロしようと思ったら前任校からと今の勤務校の校長先生からと電話があった。来年度の相談などをして飛行機に乗り込む。三年日記を買って今年こそはかきこもうと張り切っていたのに1月7日以降は書いていなかったので飛行機の中で書き込もうと思い、持ってきていた。ブログか、学級通信か、あゆみか、要録か、日記か、毎日優先順位を考えながら忙しく生活したんだなあと、白紙の日記帳を眺めながら一年間をおもった。松山に着いて、小学校の同級生と待ち合わせてランチをした。パートの仕事のお昼休みに会ったのだ。バタバタと話して笑ってもちろん話足りないけど、会ってよかった。小学校の思い出話は楽しい。少しずつ紐解かれるように思い出す。ああ田舎にかえったなあとホッとする。市内電車に書かれている文字が目にとまった。松山市ことばを大切にする委員会がえらんだ言葉です、と書いていて、へえ、そんな委員会があるんだ、人権関係かな?と思いながら隣を読んだ。「ピカソはピカソ、私は私。」という言葉だった。街を走る電車に何かの広告がどきつく書かれているのではないからいいなあ、と思いながら帰っている。高校・大学と7年間通った通学バス道路を今帰っているところ。教職に就くために教員免許をとる学部で勉強した。その免許更新の講習を受講しなければならない年だ。夏休みにこちらでうけるのもいいかなと思いながら車窓からの懐かしい景色をみないでーブログを書いた。

ETCカードで。

 昨日から、土日、祝日の高速道路の割引が始まった。

 仕事が終わっていないけど、娘の都合がついたので遊びに行くことになった。というのも、忙しくて電車通勤になったのもあって、マイカーを2ヶ月近く運転していないからどこかに行こうということもあって、出かけることに。

 千葉に行くことにした。アクアラインを通ったら1000円。海ほたるに寄ったら行こうと思ったところの入園料無料券が貰えると聞いたので、満車と書いてある表示の中入っていったら、混雑していただけで入れて、1200円の無料券を二人分ゲットした。帰りの通行料金も当たり前だけど1000円。首都高速も一部通ったら1割引き?だったかな。とにかく、すっごくお得な感じの一日だった。割り引かれた金額で、お昼代とパターゴルフ代と、温泉入園料が払えた。

 こんな日帰り旅行もいいものですね。

 さあ、早く帰り着いたので、これからあゆみを訂正しなくては。

 パソコンでコメントを書くので、簡単に訂正されてくる。簡単に直せるでしょう。。ということらしい。でも、訂正された(訂正していただいた)ところを見て、自分の癖や、間違いに気がつき、とても勉強になった。、、と前期に思ったのに、また同じ間違いをしているので検閲していただいた先生と校長先生にごめんなさいが言いたいくらい、、でもなるほどと思いながら、一人一人直す作業も時間がかかる。一括置き換えができないみたい。

 <例>、自信を持って〜自信をもって、、に。この「持つ」というのは、手で持つ場合だ     けどついついパソコンで変換されるから使ってしまっている。これが30ヶ所く     らいある。大変な作業。

     「又」、、も、「また」を使うらしい。

     やれていました〜行っていました
     やりました  〜行いました

    やっとやれて上達し、〜努力して上達し、

    注意されなくてもできるようになり、〜自分からできるようになり

   などなど、、なるほどなあ、と、とても勉強になりますね。
  
   私の訂正されたところを全部のせたら、初任の先生のあゆみの書き方の参考になるなあ、、と思います。  しかし、そんなことより、自分のクラスの訂正文を片づけることが優先だ。

 このブログの文章も思いついたまま書くから、、めちゃくちゃな変換も多いことでしょう。気になっているのが、そういうこと、、とかきたいときに、言う、、と変換されているのを無視して次に進んでしまっている。今も、次に行く、、と書いたのを書き直したが、、自分の書き癖があるんだなあと思うが、読み直しても、自分の癖は、なかなかわからないものだ。
      

テーマ:小学校 - ジャンル:学校・教育


行事を滞りなく終わるのは、当たり前ではなかったのか?

 勤務校の卒業式が今日行われた。
 式の内容はとてもよくて、一人一人の旅立ちを見守る雰囲気でよかった。
 でも、準備も、段取りも、片づけもバタバタと、見苦しいものに終わった。初めてだ。こんなにどたばたは。

 まず卒業アルバムに不手際があって、集合写真を急きょ撮り直すことになった。その為に、屋上にひな壇を、6年生を送る会が終わって15分で運ぶことになって運んで、さあポーズ!というときになって、雨が降り始め、撮れなかった。卒業式が終わってから撮ろうと言うことで、近くの教室から机を運んできたが、雨が止んだからやっぱり屋上で取ることになって、ぬれてしまったひな壇を拭く為に、雑巾を取りに行ってバタバタとふいた。

 無事に写真が撮れてホッとして、子どもたちに花を渡す係の先生方が渡してもう子どもたちは解散のはずなのに、また戻ってきた。花の数が違っていて、他のクラスと交換すると言って回収した。それなのにまた足りないとって、、、何色でもいいだろうと、、私は思うけど、みんな同じ色にならないといけないと言ってバタバタとしている。

 結局命令系統がたくさんになって情報が錯綜してこんらん。たかがチューリップ一輪渡すのにこんなに混乱したのは初めて。どうして数を確かめなかったんだろう?

 ふつうは、クラス写真を撮ったらクラスごとに式場をでてクラスごとに解散して帰っていくのに、最後に体育館に集まってさようならをすると言ってまた戻ってくる。計画書にない。さようならと言ったら、その場での解散になるから、いつまでも体育館のあちらこちらでの写真撮影になった。イスや紅白幕などを片づけられない。

 やっと1時に集合がかかり、お弁当を食べているときに、名簿か呼名のし方に間違いがあったらしいと言うことが聞こえてきた。

 どうしてこんなに間違いが起きるのか。担当がそれぞれ責任を持ってチェックをしないのかなあ、とみんな思っただろう。、、がだれも言わない。もうとにかくこんなにまちがいがあったら、無事に乗り越えたことだけでも由としたいと思うのだろう、、と、思って、私も何も言わなかった。

 でも、6年の学年主任の女の先生が、あいさつで、
「この学校で学年主任で6年生を出すのが2度目です。」と言った。

 それなのに、こんなにミスがあるなんて申し訳ない、、と言う言葉ではない。

 ああ、これが昨日からのどたばたの原因かなあと思った。

 慣れや、傲慢が、ミスを呼ぶ。私は、私自身これを経験しているから、今回のどたばたの原因もそれかなあと予想する。

 私は、なれているから、経験しているから、、とおもったら、人を頼りにしない。自分で出来るし、指示するくらいだから。それが続くと、周りの人は、その人任せになったり、手助けを申し出なくなったりするものだ。

 がっちり学年で固まってスクラム組んで頑張っていたから、ついついいろんな確認が6年生に任されていたのだろう。係で、お花の注文をしたのならその人が届いたときに本数を確認して、どのクラスにするか書いておいたりすることを、6年生の先生が気楽に、
「クラスの色で配ってください。」と言ったその言葉だけで行動した。

 あんなにバタバタさせて、6年生は、自分たちに協力してもらったけど、助けてもらったとは思っていないだろう。大きな違いだ。

 仕事分担をきっちりやる責任感と、同じ係で協力する姿勢で動くことと、混乱したときに助けをお願いできる謙虚さと、組織で動くときにはどれも必要な資質だなあ、、と。

 でも、全てに通じることは、やっぱり感謝出来る資質だと思う。

 今まで、こんなにばたばたした卒業式はなかったので、ちょっと原因を考えてしまった。

 人間、傲ってはいけない。謙虚であらねば、、と、若い学年主任さんに言いたかったけど、自分で気がつくときが来るだろうとおもって、言わないで、労いだけにした。30代。一番自信がついてくる頃だから、しかたがない。

テーマ:小学校 - ジャンル:学校・教育


意を決して、、ということ

 「意を決してと言うところでしょうか。とにかくおめでとう。」

 今日の夫からのメールです。

 今朝打ち合わせの後、校長室に行って、
「度々、申し出が変わってお忙しいのに申しわけありませんが、まだ間に合うようなら、来年度もこの学校にいさせてください。」
と、話した。

「この前お断りした後に、思い出の文集や作品バックの絵を描いていて、この子達と会えなくなるのかなあ、寂しいなあと思いました。お母さんやお父さんが亡くなった子どもが何人かいて、やっと元気になった子どもたちの近くにいてあげたいとも思っていたのに、転勤すると申し出たし、、、後悔していたときに、○先生に一緒に是非もう一年いてがんばりましょうよ、と言っていただいて、考えました。そう言っていただけるのもありがたいと思ったし、辞めた時にも、とっても良いクラスなのに手放すの?と言われていたのに、もう退職すると決めていたから別れてしまったことを後悔したのにまた同じことをしているなあ、、と自分にもあきれたんです。」

 じっとにこにこしながら話を聞いてくださった校長先生。

「ぜひ、お願いしますね。よかったです。委員会に昨日電話して、やっぱり来年は○先生はだめだって、、と、連絡したんですけど、早速また、連絡しておきますね。研究校なので名前を聞いただけで断れるんですって。だからまだ、次の人は決まっていないのよ。」

 校長室をでて、ホッとした。もうどうするか悩まなくていいから。転勤の片づけもしなくていいから。それに、来年度の学校のことで動かなくていいから。

 その報告を数名にした。帰りの電車で夫にメールをしたら、文頭に書いた言葉が返ってきたのだ。

 毎日毎にちぶつぶつと、「どうしようか、どうしようか」と言っているのを聞いていたからだろう。それに、この不況の時に、仕事があるだけでもありがたいんだと言う考えがあるから、おめでとう、、なんだと思う。

 ふらふらと考えが変わりやすい私を夫は戒めはしないけど、よくわかっているなあと思った。

 そして、今日も忙しくて9時に帰り着いたのでお弁当だった。こんな日がよくあったのに、1年間文句を言われたことがなかった。それがまた、一年続くのに、おめでとうと言ってくれたのはありがたい事です。

 どんな立場になるかわからないけど頑張ろう。


 今日、インフルエンザになって休んだ男の子のお母さんから電話があった。何かなあと思ってかけたら、

「先生、うちのKが朝から、先生とお話がしたいと言ってうるさいんです。ちっとも寝ないし。今日はドッジボールの練習があるからその時には、僕はパジャマを着替えて見に行くんだ、、と言って、、それはやめさせましたが、家から見えるから、ベランダからずっとみていたんですよ。もうしわけないけど、Kと話してやってくれますか?」

 まあ、それで本当に電話をしてくるのもどうかと思うけど、でも、子どもの気持ちはとっても嬉しいものだ。

 やっぱり、この子どもたちとお別れしなくてよかったと思った。電話を近くで聞いていた校長先生もまあまあ、、と言って笑っていた。 

テーマ:小学校 - ジャンル:学校・教育